映画監督・栗山富夫(くりやま とみお)さんは2025年6月18日、悪性リンパ腫(がんの一種)により84歳で逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
インタビューなどで「栗山夫人」という言葉が出てくるものの、本名や顔画像、プロフィールなどは公式には明かされていません。
栗山富夫の妻は!?
妻や子供についての詳細は、公開情報が非常に限られています。
・妻(奥様)
インタビューなどで「栗山夫人」という言葉が出てくるものの、本名や顔画像、プロフィールなどは公式には明かされていません。
・子供
栗山富夫さんに子供がいるかどうかについても、公式な発表や詳細な情報は見当たりません。
また、松竹の発表や新聞記事、訃報でも「家族葬で執り行う」とされていることから、プライバシーを重視した対応がなされています。
栗山富夫wiki経歴
:1941年(昭和16年)2月20日
:2025年(令和7年)6月18日
:茨城県鹿島郡旭村(現・鉾田市)※一部資料で東京都出身と記載される場合もありますが、公式には茨城県出身。
茨城県立鉾田第一高等学校卒業
国際基督教大学(ICU)社会科学科卒業(1965年)
1965年、国際基督教大学卒業後、株式会社松竹に入社。
松竹で助監督を経て、1983年『いとしのラハイナ』で監督デビュー。
1985年、『祝辞』で芸術選奨新人賞を受賞。
1988年から『釣りバカ日誌』シリーズの初期11作を監督。
『いとしのラハイナ』
『俺ら東京さ行ぐだ』
『祝辞』
『愛しのチイパッパ』
『釣りバカ日誌』シリーズ(初期11作)
『ハラスのいた日々』
『ホーム・スイートホーム』
『ホーム・スイートホーム2 日傘の来た道』
『ふうけもん』
『幸福の黄色いハンカチ』
『西田敏行の泣いてたまるか 第1話「花嫁のお父ちゃん」』
『松本清張サスペンス「拐帯行」』
『バスガイド愛子1 これが最後の恋』
:日本映画監督協会会員
栗山富夫さんは、映画監督・脚本家として多くの作品を手がけ、特に『釣りバカ日誌』シリーズ初期の監督として知られています。
2025年6月、悪性リンパ腫により逝去しました。
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